自分と握手して [1988-2003]
 

10歳
涙が出ないので、玉ネギを剥きましょう
11歳
感性がなければ、幸せに気付かない
12歳
人とは比較しないわ。するのなら昔の自分よ
13歳
自由に不安を見たら、自由失っちゃった
14歳
選ばれるような簡単な生き物じゃないわ!
15歳
音楽は私の鏡。鏡は嘘はつけない
16歳
音楽は辛い時、涙を与えてくれるの
17歳
癖って磨けば個性になると思う。そして個性を磨いていけば、きっとセンスになる気がする
18歳
ラルク・エン・シエルのマイク悶え声「神のみぞ知る」を「神の味噌汁」と聞いて笑われた
人生って水彩画じゃないから。でも馴染めば良い、染まる必要はないと思う
19歳
私の音は私の存在
でも存在の方を大事にしてくれた人がいた
20歳
こだわって、こだわって大人になろうよ
21歳
人の数だけ音があるよね
22歳
音楽は私の自由主張への居場所なんだと思う
23歳
perfectじゃないから希望持てるの
両親へ、育ててくれて有難う
24歳
息吐かないと息吸えないじゃない
25歳
私の音楽には2つあって、一つは「酸素」でもう一つは「二酸化炭素」かな?
本当はミスをどう対処するかで、その人の価値って分かるんだよね
ただ誰にでも優しいことは、誰にもやさしくないことを知った

  15の解釈 [11.2002]
 

曙は扉の前までやってきて、ためらいがちにのぞき込んでいる。はだしの足元に、 折れたマッチ
誇り 湖面にはさざなみが、マイクロチップには三角波が。かさかさ鳴るのは、だれのまどろみ?
時計、きくらげ、マスカラ、見習い船員の初航海、テラスで頭を下げて、それから、それから
母親 薪をくべ、ほのおが炉床を照らし、熱がくうきを溶かすのを待ちました
安楽 棘は重層的陰影。合目的的崩壊を容認せよ。勇敢なる刹那
とりいだしましたるこのラスク、目にも鮮やかなこのルビー色の液体にちょと浸し ますれば、さあお立ち会い、たちまち立ち上る一条のけむり、けむり、けむり……ゴホゴホ
欲望 すり足で、橋を渡ってゆく漁師
性欲/嫉妬 鉄棒、郵便自動車のクラクション、期待するまでもない
初恋 洒落た大通りの敷石の上を、気取られることなく一匹の蛇が通ってゆく、緑色のうろこきらめかせながら
純真 もうすぐ日が暮れる。わたしはだれかの手を引きながら、扉をあけて風の中に踏み 出してゆくよ
永遠 留守電に積もった暗黒
夢・希望 買ってきた犬小屋が小さすぎたり、大きすぎる綿菓子をほおばったり
過失 どうして後ろを向いたままでいるのか
平和 首にリボンを巻いて、耳の後ろをかいて、冷蔵庫の掃除をして、メールをチェック して
人間の存在・生きる価値 あなたはマッチ棒を拾い上げて、まぶたに押し当てた。とおい陽光のリズムを数えながら、足についた泥がくすぐったい

  いつかは又「基本」から [4.2002]
 

●知らぬ間に、21世紀の人間
になっていました。 「何に笑えばいいのか、考えて笑っているようじゃ駄目ね。」 そんな反省をしている私だけど、生き物だから考えてしまうのは仕方ない。

●昔からの夢だった、オフ・ブロードウェイ
での演奏活動は置いといたとしても、限られた時間を最大限に使って、毎日自分で夢へのヒントを探しています。本来なら「目標」と言いたい所だけど、何かガツガツしているみたいで、私の性格には合わない言葉なのかもしれない。コンニャクみたいに頑張りたい。初恋と同じで、叶わない夢は、又味があってそれはそれで良いのかもしれないですね。

●そんな「夢」の1つは
縦割りの芸術も素敵だけど、横断したような芸術にすごく興味があるのです。マルチ・メディアとして音楽だけでなく、映像、ダンス、ステージ・イフェクト、ライティング、コスチューム、ヘア/メイクアップアーチスト他等も加えた、エンターテイメント系のステージでトータルアートのヴィジュアルに迫りつつ、だけど癒し系のクラシック音楽を弾いたりして、コントラストとバランスを考えた作品を作って行きたいと願っています。

●今デジタル時代
どんな人でもクリエイティブな作品は作れます。昔より簡単に才能を発揮出来る時代です。でも皆出来たら・・・特別って何でしょうか?これからもアーチストとして生き延びるのには、何が必要か。質と練習量ですかね?冗談はさて置き、ニューヨークで、そんなもののひとかけらでも見つけられたらいいなと思い、今年5月からNew York Cityに住む支度をします。両親の血でしょうかね。言うのは簡単だけど、行動化するのには物凄いエネルギーが必要です。やってみなきゃ分からない。「どうせ・・・」 とか言う自分に一番腹立つから、やってみます。駄目なら駄目でその方がグジグジしないで済むと思うし。「嫌になっちゃうな、こういう自分」 一番苦笑いするトピックなのかも知れない。最後に決めるのはいつも自分。

●つい最近書き上げたポップスの「Live Simple」
実は自分自身の応援歌だったりもする。「Simple Life」の方がタイトルとしては好ましいのかも知れないけど、私は未だ未熟でそんな言葉さえ、口に出せない。「・・・しなきゃ。」そんな毎日に音楽の音色で自分を励ましている自分がいる。「誰かに希望を、人間として生きる意味を伝える曲を書きたい」 それがたとえ実現出来たとしても、偉そうな口は叩けない。本当は音楽無しで陣内梢として生きられたら、最高なのでしょうけど。でもなぜか、音楽はいつも素直でいてくれる有難い存在なのです。テロ事件後、市はまるでバブル後のサラリーマンみたいに、癒しを求めてました。音楽に出来る事、それは私にも出来る事。Circle of ミラクルですかね。

●「夢」は生きている価値を暖めてくれています。
夢は・・・アクセルをかける足みたいなものです。 まあ、ガソリンなきゃ進まないけどね。 5年後の私はこれを読んでどう思うのか、今の私には知る由もありません。

●死ぬまで自分と付き合うから
今の自分をまず大切にしたい。じゃなきゃ、他人に対しても大切に出来ない気がする。
4月だというのに、今日も雪は降っています。 

  過去の道は一つだけ [3.2002]
 

●「半分」というのは、とても奇妙な数え方だ
  といつも思う。もし私が2歳だとしたら、人生の半分を外国で暮らしている、と言っても、たかだか1年間日本を離れていたということになるわけだけど。 24歳の私の人生の半分となると、これはちと長い気がする。 今どき留学生だの外国暮らしなどといっても、珍しい時代じゃないけれど去年ついに10年を越したとき、おっと思いました。何がおっなんだか自分でも不明だけど。 「おい、あんた何で米国に10年もいるのよ」と問われ「お父様の海外赴任で」とか「英語の勉強のためよ」とか言えば格好もつくけど・・

●もうちょっと突っ込んで言うと
あれはバブルのころの事。この繁栄が永遠に続くと思った人って意外と多いらしいんだけど「何となく変だなあ」と居心地悪くいた人たちだっていたでしょう。それなんだと思う。うちの家族は。私が日本を離れたころバブルも、頂点にたっした日本の過剰なまでの自信に家族みんな (と言っても、両親と私の3人) 何か、とり残されたというか、奇妙な落ち着かない生活をしていたのは事実だったと思う。11歳になったばかりの私に、そんなことはわからなかったけど。

●私は、どこにでもいるちょっとピアノのうまい子という感じ
だったかなあ。もちろん子供だって人生アップダウンは激しいのは世の常で、何をやってもスイスイという絶好調のこともあれば、登校拒否だって、いじめだって経験したという、まあ人並みの子供だった。その頃の日本の教育の、私には理解し難かった「平等制度」で、自分自身を失う毎日に悩み・・・ちょうど、私が絶不調の中学生活を送っていたころかな。逃げ足の早いことを得意技に持つ両親は「このまま日本で闘うなんてことは疲れる。いっそのこと家族そろってアメリカに行っちゃおう」なんて突然考えたわけです。 うそみたいだけど、本当の話です。

●着いてからの苦労話なんて、聞くのも嫌
だろうけど、言うのも嫌なものです。もちろん合法的に滞在するわけなので、父はまた学生に逆戻りして。まあ、父は原書を楽に読みこなしたいという目標があったから、そちらはいいとして、みじめなのはこの私。ともかく言葉が出ない、というか、単語もろくに知らないんだから、1年間は聞くも涙、語るも涙の物語なのかもしれない。なのかもしれないというのは私はずっとクラスで折り紙したりして、ともかく時間を潰しているだけだったから。だって、突然ドイツ語とかもとらされて、英語だってオヨヨなのに何の気力も出ないというものよ。
 
●ただ、米国の学校のすごいところは
そんな私にちゃんと一人学校で家庭教師をつけてくれて、折り紙少女の私に対して一度も親が学校から注意されることなんかなかったってことです。これすごいと思う。で、つまらないから学校でピアノを弾いていたら、何だか手を引っ張られ、知らないうちにオーディションしていて・・・今の私がここにいます。

●別にだからといって、ずっとピアノ少女というわけでもなく
絵をかいたり彫刻したり、やっと英語にも慣れてきて。中学時代は何とか過ぎました。高校に入ってからは、結構楽しかった。ビデオ作成は、私にとって将来にもかかわるほどのインパクトがありました。書きたいことは沢山あるけれども、ダレると困るのでカット。一番書きたいことが多い所をカットするのって、結構快感ですね。
 
●イーストマン音楽学校に入って
そう、皆さんイーストマンなんて知らないかもしれないけど、米国の音大ではなかなかというか、システムも教育も随一の学校なのです。特に教育は、素晴らしい。私は今は大学院生で、ほとんどスカラシップで勉強させてもらっています。私のような外国人に米国の人たちは大変な奨学金を与えてくれているのことに本当に感謝。いつかこのお礼ができるような自分になりたいな、というのが私の目標の一つです。

●アメリカは、今度のテロのことで非難や同情を受けている
けど、私に一つ言えることは、アメリカはアメリカン・ドリームを実現させてくれる可能性を秘めた国であること。今米国にいて、私を育ててくれたこの国に感謝するとともに、この国が大きな過ちに陥らないこと、願っているというのが今の正直な気持ちです。

長くなりました。また書きます。